例えば先進国の司法においては、日本の裁判員制度を含めて各国で陪審員制度が実施され、国民の日常感覚や常識を裁判に反映させています。このことは、あらゆるところにはびこる法律家のパターナリズムを見直すことで、国民の理解と信頼を増し、司法に対するコンセンサス・コミュニティを形成することを目的としています。
しかし、歯科界の実態はどうでしょうか。熊谷崇先生は、約30年間におよそ1500回のヘルスケアに関する講演を歯科界に限らず各業界・歯科大学・市民に向けても行ってきました。講演後の聴取者の感想は「目から鱗が落ちる」思いに集約されると聞きます。そこで私たちが気づき愕然とさせられる事実は、約30年前もそして最近放映された「プロフェッショナル」や「カンブリア宮殿」の視聴者も、「目から鱗が落ちる」思いと、経過している時間に関わらず同じ感想を持つことです。つまり歯科医療の根本的理解は30年間あまり変わらなかったことになります。このような停滞が歯科界に起こる理由は、30年前も現在も同じ制度の上で、官の決定した変更に準じて、歯科医療に取り組んできた結果ではないでしょうか。
唐突ですが、ここで思い起こされるのは、同志社香里中学校での礼拝で伝えられた「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ」という聖句です。詳細な説明は省きますが、聖句は、「新しいワインは発酵過程でガスが発生しているので、古い革袋では革が伸びないため破裂してしまい、ワインも革袋も失う」という意味です。校長先生はこの聖句を生徒の未来に照らして(以下引用)“一人一人の人間も、昨日とは違う自分を新しく造り出してゆこう、今までになかったようなアイデアを出してみよう、今までになかったような物を作ってみよう、そしてそれによって、もっと人間の世界を楽しくて幸せなものにしよう。そういう人が世の中で求められています。”と、生徒に伝えたのです。
歯科界は、新しい取り組み(ヘルスケア)を古い革袋(健康保険制度)の中で行ってきたため、生活者はワイン(ヘルスケアの情報と成果)を飲むことができなかったのではないかと、想像してみてください。このままでは歯科は、新しいワイン(ヘルスケア)も古い革袋(健康保険制度)も失い兼ねません。今、オーラルフィジシャン歯科が求められているのは、新しい革袋の中に新しいワインを入れることではないかと思います。
本パブリック・コメントは、オーラルフィジシャン歯科においても、歯科医療の規定値をいったん白紙にして、歯科医療の「制度」「サービス」「経営」「社会性」「未来」などについて再考し、歯科に対するコンセンサス・コミュニティを促す先進的取り組みにチャレンジする契機としていただきたいと思い、各界のキーパーソンからご意見をいただきました。ご一読ください。